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2017年7月5日

年金違憲裁判はじまる「原告陳述に共感の拍手」

 2015年7月に「年金引き下げは憲法違反」と255人の原告が訴えた『神奈川年金違憲裁判』。提訴した横浜地裁での裁判を認めない「移送問題」において、最高裁が不当な決定を行ったことを受け、いよいよ東京地裁で裁判が始まりました。

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 5月24日の第1回口頭弁論には、原告・年金者組合員・支援団体などから330人の仲間が駆けつけ、法廷の内も外も熱気であふれました。

 裁判のなかでは、弁護団から「神奈川年金裁判の意義」と訴状の中心点が陳述され、続いて、原告の高橋さんと加藤原告団長が陳述。2人の陳述が終わると傍聴席からは共感の大きな拍手が送られました。裁判長は静止することなく、逆に陳述を終えた原告に「ご苦労さま」と声をかけました。

次回期日は9月27日です。年金者組合では、提訴2周年となることから、7月17日11時から横浜駅そごう前で「年金フェスティバル」を開催し、多くの市民にアピールすることにしています。


加藤郁子・原告団長の陳述(要旨)

 私は幼少より体が悪く、入退院を繰り返し、何回かの手術の後で片肺を失いました。22歳の春でした。苦しい矯正などを受け、社会復帰しましたけれど、私を雇ってくれるところはどこもありませんでした。失意の4年間を過ごし、公営ギャンブル場なら健康診断が無いと聞かされ、私はその話に飛びつきました。そうやって就職したのが、平和島競艇場でした。

 競艇場は、劣悪な労働条件でした。雇用形態も日々雇用の臨時従業員、いわゆる日雇労働者でした。保険は日雇い保険で、月に印紙を15枚貼ってもらって、ようやく次の月に医療機関にかかれるというものでした。

 政府管掌保険が欲しい、年金保険を納めたい、この一心で私は組合をつくることにし、1000人の組合員を組織しました。さらに組合員を増やし、雇用形態を日雇いから常勤に変えさせて、普通の会社と同じ労働条件を勝ちとってきました。

 最後に残ったのが一番欲しかった政府管掌保険と年金保険でした。当局との交渉を重ね、ついに政府管掌保険に入り、年金保険もかけるとの回答を引き出しました。何日も徹夜交渉を重ね、やっと引き出した翌朝の集会で、私は組合の仲間の前で大声で泣きました。組合員もみんな私の周りで泣きました。私は54歳になっていました。

 私は、年金を勝ちとる運動のなかで「必ず年金保険を勝ちとるから、それまで必ず国民年金のお金を払っておくようにしよう」と仲間たちに呼びかけ続けました。そして、「年金を払い続けるなら、老後は安心して暮らせるから頑張ろう」とも呼びかけ続けてきましたが、いま30年間もの年金引き下げなんて、私はどの顔をして昔の仲間と会うことができるでしょうか。
 私は命がけで年金を手にしました。年金は老後の財産です。高齢者の命綱です。ところが、政府は正当な理由もなく、私の理解と納得も得ないで、勝手に「財布の中に手を突っ込んで」私の年金を奪い去っています。

 裁判長。私たち原告団は、どのようなことがあっても闘い抜きます。命がけで得た年金を減らすことはできないという私たち原告の想い、そして私たちと一緒に闘ってきた多くの仲間の思いをわかっていただいて、充実した審理をして頂けますよう、お願いします。

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